映日堂(旧)

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難しいけど、笑顔でいたい

早いもので、2021年も10月に突入した。最近あまり月ごとの区切りを意識していないなと思ったので、たまには目標を立ててみることにする。

今月の目標は、ずばり「笑顔でいること」。

今年に入ってから、体調が優れないことが多かった。そのせいで、鬱々とした気分が続くことも日常茶飯事だ。

しかし、体調というものは自分の思う通りにはならない。自分の意思でどうこうできないものについてうだうだと悩むのは時間とエネルギーの無駄遣いなのだ。

もちろん、そうスッパリと割り切れることではない。しんどいものはしんどいわけだし。ただ、そう知っておくだけでも辛さが少しは軽くなるのではと思っている。

そして体調とは逆に、心持ちは自分次第だ。辛い状況にありながらも、その中で楽しい、嬉しいと感じることを見つけていきたいと思っている。

いつも笑顔でいることは、体が元気な人にとっても難しいことと思う。正直、この目標はわたしにとって高い理想でしかない気もする。が、チャレンジするのは自由なのでとりあえず掲げてみた。無謀だなと笑えてくるが、それも笑顔ということで。

今週のお題「今月の目標」

サンドバッグとしてのブログ

夫をサンドバッグにしている。

こう書くとかなり物騒になるが、結果としてそうなっているように思うのだ。

というのも、わたしは現在心身の不調によってなかなか思うようにならない日々を送っている。その辛さを話す相手が夫くらいしかおらず、毎日愚痴を聞いてもらっているという話だ。

その行為がわたしのストレス発散に少なからずなっており、まるで夫をサンドバッグにしているようだと感じたのである。

これはよくない。夫は優しいので「自分にできることがあればするよ、話も聞くよ」と言ってくれる。しかし、夫も1人の人間。辛い話を永遠と聞かされ続ければ、精神に影響があるだろう。

そこで、きちんとした(誰にも迷惑をかけない)サンドバッグを探すことにした。そうして思い至ったのがブログである。

ブログ自体は数年書いてきたが、そこでは外面の良い自分を演じてきた。自分を曝け出すというのは、わたしの苦手分野だ。

しかし、今がやるときかもしれない。夫からも、素の自分をもう少し出したほうが楽になれるのではと助言をもらったのだった。

先述したように、わたしの話し相手はほば夫のみ。しかもわたしはどちらかというとおしゃべりで、夫の負担になっていることは間違いない。そりゃ現実世界で友人と話すのが1番の解決策だが、今暮らしている場所は地元から離れていて知り合いがほとんどいない(そもそも友達も少ないが)。

ブログに話し相手になってもらおう。そして、時にはサンドバッグにもなってもらう。どうしようもないわたしの全てを受け止めてくれ。

肉より魚な人生の中で、忘れられないステーキの味

気づけば、肉を積極的に食べない人生を送ってきた。

いつから肉に苦手意識が芽生えたか定かではないが、少なくとも小学生時代の給食では私の敵となっていた。

私は食べるのが遅く、よく昼休みも教室の隅でちみちみと給食と戦っていた。中でも豚肉のソテーなど肉系の料理は食べづらかったことを覚えている。

好きなメニューを2択から選べる給食では、必ず肉ではない方に決めていた。それは魚であったりエビであったりして、どちらも好きではあるが「肉を避ける」という消極的選択であった。

そんな経験が重なり、ある時「自分は肉が苦手なんだ」と自覚した。そこからはさらに肉を自分から食べることは減っていったように思う。

さて、そんな私でも素晴らしい記憶として残っている肉もある。それは、山口のとあるホテルで食べたステーキだ。

そのホテルは昔、家族旅行で訪れた。懸賞か何かで当たった宿泊で、普段の我が家の旅行で泊まる場所よりワンランク良いホテルであったはずだ。

宿泊した日の夕食は、そのホテルのレストランで。子供用メニューにだけステーキが含まれていた。今までの(短い)人生の中でステーキを食べたいと思ったことのなかった私は、特に期待もなくそれを口にしたのだった。

しかし、食べた瞬間驚いた。そのステーキはとても柔らかく、口の中で優しくほどけたのだ。給食などによって「塊の肉はカタい」という残念な固定観念を植え付けられていたのだが、そのとき思い知った。良い肉は柔らかいのだ。

もちろん、味も最高だったと記憶している。昔のことなので詳しい描写はできないが、とにかく柔らかくて味わい深くおいしかった。

この時の感動は今でもたまに思い出す。この経験のおかげで、私は完全な肉嫌いにならずに済んでいるのだと思う。

これから肉を好きになるかはわからないが、おいしい肉を追い求めてみるのも悪くないかもしれない。あのステーキに想いを馳せる時、いつもそう思う。

今週のお題「肉」

主な執筆ツールがスマホになりつつある件

最近、文章を書くとき手に取るのはもっぱらスマホだ。

5年ほど前からブログを書いているが、ちょっと前までPCを開いてキーボードを叩くのが当たり前だった。正直、スマホで執筆なんてできるわけがないとすら思っていた。

しかし、気づけばスマホから文章なりメモなりを作成する毎日。

なんでスマホばかり使うようになったか。これには明確な理由がある。

というのも、わたしは心身の調子に波があり、特にここ数ヶ月は不調をがっつりこじらせてしまい寝たきりのような生活をしている。それでも書き物をしたい欲求はあり、そのツールとしてスマホは最適なのである。

まず、どんな姿勢でも書ける 。そして場所を選ばないし、手の動きは最小限で済む。

要するに、「布団に仰向けで横になった状態」で執筆できる唯一の手段というわけだ。

ところで、書くツールによってその文体や内容が変わってくるとはよく聞く話だ。例えばアナログかデジタルかが最も大きな違いであろう。だがそれだけでなく、同じデジタルでもPCのキーボードを叩くかスマホフリック入力するかでも全く変わってくるとしみじみ実感している。

主にキーボードを使っていた時期、それが文章を書く上での「正解」だと思っていた。しかし今、執筆ツールとしてのスマホの優秀さを感じている。

わたしは頭の中の言語化が得意とは言えない。そのため、ツールをいかに自然に使えるかがけっこう大事だと思っている。キーボード入力に苦手意識はなかったが、フリック入力に慣れるにつれてそのスピード感が心地よくなっているのが実際のところだ。頭の中と指先が直結している感覚、というか。

そんなわけで、少なくともしばらくはスマホがわたしの主な執筆ツールであるだろう。「それっぽさ」という点でいつかキーボードに戻りたいと願ってはいるが。

うまく眠れなくて腹が立つ

眠い、ひたすら眠い。睡眠がうまく取れないストレスが溜まっている。

寝つきが悪く、その上朝早くに覚醒してしまう。さらにそのせいで、午前中に一眠りするのが習慣になってしまっている。

今朝も4時頃に目が覚め、起きて朝食を食べた。寝不足だが今日は起きていよう、と思った矢先、眠気が襲ってくる。食後しばらく我慢してPCをつついていたが、徐々に増す眠気。

だんだん腹が立ってくる。

なんでまともに睡眠がとれないんだ。午前中に寝なきゃいけないっておかしいだろ。普通に動けない体にとにかく苛立つ。

朝、寝直すのがクセになっているのが良くない。体を疲れさせればぐっすり眠れるんか?でも今の習慣だとそうもいかない。

夜寝れない→昼間ボーッとする→動けない→睡眠の質が下がる→夜寝れない…

この悪循環からどう抜け出せばいいかマジでわからん腹立つ。

じゃあフラフラになっても起きときゃいいかといえば、そうでもない。何か用事があるときは、フラフラのままじゃ困る。何もなくても、そんな状態で起きておくのは難しい。こちとら「ちょっと眠いな〜」程度じゃないんじゃ。

あーもう、うまく眠れさえすれば楽になれるのに。なんなんだ、なんで「眠る」という基本の動作がうまくできないんだ。眠れないつらさが次第に自分への怒りに変わってゆく。しんどい。

睡眠薬は飲んでいるが、数日前に新しいものを飲み始めたところ今度は効きすぎて翌日使い物にならなかった。頭が死ぬ。

生き物として狂っている。どうしたらうまく眠れる?

ローソンの箱アイスにキウイ味が入っている件

最近は1日1個必ず食べるほど、アイスは私にとって欠かせない存在だ。ただ、冷凍庫の容量が小さいため買い溜めはあまりできない。そうなると必然的に、家の近くにあるコンビニでちょこちょこ買いするようになる。

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握り寿司一貫を一口で食べられない

寿司が好きだ。回転寿司も、スーパーのパック寿司も、しょっちゅう口にしている気がする。

ネタは、サーモンが大好きだ。毎日でも食べたいくらい。最近は「サーモン尽くし」のような名前でサーモンばかり詰め合わせたパック寿司をよく見かけるから、きっとサーモンラバーは多くいるのだろう。

そんな熱烈に愛している寿司という存在だが、実は1つだけ許せないことがある。

それは、一貫のサイズが大きすぎることだ。

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